倍賞千恵子『PLAN 75』(早川千絵監督)

死ぬことが福祉なのだろうか——早川千絵監督『PLAN 75』(第75回カンヌ国際映画祭特別表彰)

倍賞千恵子主演の映画『PLAN 75』(早川千絵監督、2022年6月17日劇場公開)の試写に参加させていただいた。この作品は第75回カンヌ国際映画祭において新人監督賞の特別表彰を受けたことでも話題になっている。

75歳以上の希望者は安楽死ができる「PLAN 75」という制度ができたという架空の日本を描く映画。街並みや人々の暮らしは現代の日本そのもの。75歳以上といえば後期高齢者であり、この数字の設定が生々しい。

この映画は重い。そして救いがない。一歩引いたドキュメンタリーのような目線で撮られており、まるで現実に起きていることのように迫ってくる。

©2022『PLAN 75』製作委員会/Urban Factory/Fusee

「PLAN 75」という制度名は、まったくもって軽い。しかし、事の深刻さを隠すため、実際にありそうなネーミングであり、そこもリアルさを増している。

(このテキストはネタバレを含みますので、作品鑑賞前の方はブックマークして鑑賞後お読みになることをおすすめします。)

■ 棄老の物語

棄老の物語といえば小説『楢山節考』(深沢七郎、1956年)がある。楢山節考の世界は、厳しい山奥の村が舞台で、全ての村民が冬を越すだけの食糧を確保できないため棄老する。

PLAN 75では村という単位ではなく国家単位で棄老する。日本という国が資産を持たない老人を支えることをやめてしまった、という設定である。日本という国全体が衰え、老人全体を支えきれない。

つまり、楢山節考で描かれる村の状態が国を覆った、ということになる。

小説『楢山節考』で、山に捨てられる時期が迫った母おりんは自ら山に捨てられることを望みその準備を進めていた。食料の備蓄は限られており、それで冬を越せる人数は決まっているからだ。しかし、おりん本人には悲壮感はなくあっけらかんとしている。家族は先延ばししようとするが、おりんは自ら山に棄てられることを選択する。健康で長生きした自分を恥とすら思っている。その村ではそれが当たり前のシステムとなってしまっているのだ。それは今村昌平監督の映画版『楢山節考』(1983、カンヌ国際映画祭グランプリ受賞)でも描かれ方は同様である。死ぬことが前提の社会システムになってしまっている。

PLAN 75で倍賞千恵子が演じる主人公ミチの周りに家族はいない。そんな中、仕事が奪われ、住む場所も奪われてしまい、PLAN 75での安楽死に行き着く。自分の意思という形になっているが、これもまたやはりそのようなシステムになってしまっているということだ。そうしなければならない、と思い込まされているに過ぎない。

©2022『PLAN 75』製作委員会/Urban Factory/Fusee

しかし、楢山節考にせよ、PLAN 75にせよ、全ての老人が棄てられているという訳ではない。楢山節考は厳しい山村が舞台。描かれてはいないが、それ以外の、山を降りた町では老人は棄てられていない。PLAN 75も同様で、棄てられているのは資産のない老人であり、お金を持っている老人や支える家族のいる老人は棄てられていないのだ。

■PLAN 75に登場しない人たち

PLAN 75に登場しない人たちがいる。

それは、お金持ちの老人。PLAN 75に関わらない若者。そして、40〜65歳くらいのいわゆる普通に働いている人たち、である。

逆に登場するのは、お金のない老人とPLAN 75の制度の下で国に雇われて働く若者。

©2022『PLAN 75』製作委員会/Urban Factory/Fusee

登場しない人たちと登場している人たちが支え合えば、この問題は解決しそうなものである。しかし、持てる人たちはこの物語に姿を現さない。姿を現さず、ただセーフティーネットの最後に安楽死がある制度だけが姿を現しているのだ。

死ぬことが福祉なのだろうか——映画を見ながら、考えてしまう。そしてこの問題の解決策が見つからず行き詰まりを感じてしまう。重く、救いがない。

しかし、映画の登場人物全員が必ずしもあきらめているわけではない、ということころに微かではあるが、光を感じる。若者も、安楽死を選ぼうとしている老人も、自分でなんとかできないのかとあがいているのだ。全く無抵抗、というわけではない。

この映画に登場しない、描かれない人たちは、もうあきらめてしまっているのかもしれない。世の中はこういうもので、どうしようもないと思っている人たちなのかもしれない。

しかし、この映画に登場する若者や老人は、必ずしもあきらめてしまっているわけではない。

重く、救いはないが、そこに微かな光だけが見える。

ただ、彼らだけでこの問題が解決するわけではない。鍵を握っているのはPLAN 75という映画に登場しなかった人たちなのだ。

早川千絵監督はカンヌ特別表彰受賞のインタビューで「ここ数年の間に、日本社会が不寛容な方向に行っている」ことに危機感を持って映画を撮ったと述べていた。

「ここ数年の間に、日本社会がとっても不寛容な方向にいっているなと思っている中で、人の命も価値があるものないものと分けているような考え方が生まれてしまっている気がしていて、そこに対する危機感からこういった映画を撮ろうと思いました。」「生きている価値とか生きている意味とかそういうことではなくて生きていること自体が尊いということを伝えたかった。」

第75回カンヌ映画祭特別表彰受賞、早川千絵監督インタビューより

「不寛容」といわれるこの社会をどうしていくべきか。答えは、観客に委ねられている。

『PLAN 75』
6月17日(金)より、新宿ピカデリーほか全国公開
配給:ハピネットファントム・スタジオ

(了)

©2022『PLAN 75』製作委員会/Urban Factory/Fusee

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